正満寺について

  
  

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ぶろぐ|Blog

室町時代後期の天文11年(1542)、薩摩国白沢津さつまのくにしらさわつ(現在の鹿児島県枕崎市白沢西町)出身の 島津薩摩守頼忠しまづさつまのかみよりただ甲山城主上原元祐こうざんじょうしゅうえはらもとすけを頼り、出家して 康雲こううんと名乗り、天台宗の寺院として正満寺を開基しました。 慶長13年(1608)、 3世念尊さんせいねんそんは 本願寺12代准如御門主より木仏免許下附賜り、浄土真宗本願寺派の寺院となりました。

その後、江戸時代中期以降は学僧を多数輩出しています。
天明8年(1788)〜寛政3年(1791)までは 大瀛だいえいが住職を勤めています。 嘉永4年(1851)には 12世惠海じゅうにせいえかい本願寺派勧学ほんがんじはかんがく(本願寺派の学階)を拝命し、「学心館」という寮を開きました。 門弟もんていには護命ごみょう義海ぎかい福間浄観ふくまじょうかん足利義山あしかがぎざんらが学びました。 その間、度重なる火災による建屋の焼失、飢饉や一揆、住職後継問題など様々な困難に直面しました。 しかし、それぞれの時代の地域や門信徒の皆様お力添えに支えていただき、いまに至ります。

about the Shin-Buddhism

仏教は西暦五〇〇年代半ばに百済くだらから伝えられました。 五〇〇年代後半には聖徳太子のご活躍によって、日本に定着していきました。 その後平安末期から鎌倉初期にかけ、これまで「難解で」「貴族だけのもの」であった仏教を、新しく解釈していく大きな動きが起こりました。 それまでの仏教は私たちが俗世を離れ、難行苦行なんぎょうくぎょうや勉学に励み、また厳しい戒律を守って仏に近づいていくものでした。 宗祖親鸞聖人は釈尊が語られたたくさんのお説教の中から、三つ(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)に注目され、特に大切なものと仰がれました。 中でも最も大切な『仏説無量寿経』に説かれているのは「自ら仏になることのできない、あなたを必ず仏にしたい」との阿弥陀如来の大きな願いです。 この阿弥陀如来の「ご本願」を拠り所とし、南無阿弥陀仏とお念仏申すみ教えを「浄土真宗」といいます。

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